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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)1402号 判決

原告

朝倉斌

被告

朝倉忠孝ほか

【主文】

原告と被告朝倉忠孝との間において、別紙第一目録記載の建物が原告の所有に属することを確認する。

被告朝倉忠孝は、原告に対し右建物につき、真正な登記名義の回復に代えて所有権移転登記手続をせよ。

被告朝倉忠孝、小澤民雄は、各自原告に対し金九〇〇万円及びこれに対する昭和四六年三月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

この判決は、第三項に限り、仮に執行することができる。

【判旨】

(本件建物について)

一先ず、本件建物の所有権の帰属について判断する。

(一) <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 原告は、被告忠孝の長男重延(昭和二九年五月一四日生)名義(この点は、原告と被告忠孝間において争いがない)で昭和三二年三月三一日福井工務店との間において旧鉄筋の建物につき代金を金七八〇万円とする建築請負契約を締結し、同年九月一四日ころこれが完成引渡しを受けてその所有権を取得したが、その追加工事を含めた代金七九八万四、〇〇〇円は、原告において右工務店に対し同年五月二二日金二六三万円、同年七月五日金二五八万円、同年九月一〇日金二七七万四、〇〇〇円を各支払つたこと。

2 原告が右建築請負契約における注文者名義を被告忠孝の長男重延としたのは、当時原告には妻文子(昭和三三年一一月一三日死亡)との間に子がなく、また子宝に恵まれる見込みも存しなかつたため、予ねてから被告忠孝の子を養子として原告の後継者とする話があつて同被告もこれを承諾していたところから、原告の後継者と目されていた重延名義を使用したこと。

<反証排斥略>

もつとも、<証拠>によると、旧鉄筋の建物の建築費の支払いに充てるため、昭和三二年五月二一日被告忠孝名義で富士銀行新宿支店から金八〇〇万円の借入れがなされ、同年八月八日右債務を担保するため本件木造建物に抵当権設定登記をするとともに、同銀行に対し振出人を被告忠孝とし、支払期日を同年一二月二八日及び同三三年三月一九日とし、額面額をそれぞれ金二七〇万円、金五三〇万円とする約束手形二通が差入れられたが、その後右金員のうち金四〇〇万円は、被告忠孝の妻啓子がその叔父訴外今野義から借入れた金四〇〇万円をもつてその支払いに充て、残余の金四〇〇万円は赤羽中央病院の収入金からその支払いをして右手形二通を受戻した事実を認めることができるけれども、他方、<証拠>によると、右富士銀行からの金員の借入れに関する交渉は、被告忠孝の妻啓子が原告の依頼によつてしたものであること及び原告は所得税の確定申告において右建物を原告所有の償却資産として計上していた事実を認めることができ、右の事実に前示事実を総合すると、旧鉄筋の建物の建築費が被告忠孝名義で借入れがなされ、その弁済金のうち金四〇〇万円が同被告の妻啓子の叔父からの借入金によつて賄われているとの事実をもつてしては、いまだ右認定を左右するに足りないものというべきである。

なお、被告忠孝は、旧鉄筋の建物につき火災保険契約を締結してその保険料の支払いをしている事実によつても、右建物が被告忠孝の所有に属することは明らかである旨主張し、<証拠>によると、右建物についての火災保険契約が被告忠孝の長男重延又は被告名義でなされている事実を認めることができるけれども、<証拠>によると、右保険契約は原告において昭和三五年から継続して締結し、その保険料も原告において支払つていた事実を認めることができるから、被告忠孝又は重延は単なるその名義人に過ぎないというべきであり、従つて、被告忠孝の右主張も理由がない。

(二) 次に、<証拠>を総合すると、原告は岡建築設計事務所に依頼し旧鉄筋の建物に接続して新鉄筋の建物の設計をなし、その建築請負契約の締結を重威に依頼したところ、同人は昭和三六年七月二九日注文者を被告忠孝名義として(この点原告と被告忠孝間に争いがない。)福井工務店との間において、新鉄筋の建物建築につき代金を金二、五七四万五、〇〇〇円とする建築請負契約を締結し、同三七年七月末ころ右建物が完成して引渡しを受けた事実を認めることができる。そして<証拠>を総合すると、原告は被告忠孝の妻訴外朝倉啓子を介して交渉した結果、昭和三六年六月二〇日医療金融公庫から被告忠孝名義で金二、〇〇〇万円を借受け、右金員及び重威からの借入金をもつて右建築資金に充てたこと、原告は、医療金融公庫に対し右債務を担保するため、同年七月二五日本件土地につき、同三八年六月二〇日本件建物につきいずれも被告忠孝名義で抵当権を設定し、同三九年五月二五日から被告忠孝名義で訴外千代田火災海上保険株式会社と新鉄筋の建物につき火災保険契約を締結し、同四四年六月一〇日医療金融公庫に対し右債務(当時の残債務は金九四七万円)を担保するため保険金請求権に質権を設定したこと及び右公庫からの借入金については同三七年八月三一日から毎月末日、原告が同三四年一一月富士銀行新宿支店に開設した赤羽中央病院会計主任朝倉重威名義の普通預金口座から各元金一三万円と利息金とを引落して支払い、同五〇年五月三一日残金一一万円を支払つてその弁済を終えた事実を認めることができる。

右に認定した事実に、後に説示するように、赤羽中央病院は原告の経営するものである事実並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、新鉄筋の建物は原告において建築したと認めるのが相当である。<反証排斥略>

(三) 以上に認定したところによれば、本件建物、すなわち旧鉄筋の建物及び新鉄筋の建物は、いずれも原告において建築し、その所有権を取得したものといわなければならない。

もつとも、<証拠>によると、昭和三八年七月二二日右新、旧鉄筋の建物は一個の本件建物として被告忠孝名義で所有権保存登記手続がなされ右新鉄筋の建物建築請負契約の注文者、金融公庫からの借受人、同公庫に対して設定した本件土地、本件建物の抵当権及び前示火災保険請求権の質権の設定者が、いずれも被告忠孝とされていることは右に認めたとおりであるが、<証拠>によると、右は医療金融公庫から前示金員を借受けるに際し、その借受人名義、担保として提供すべき本件建物の所有名義人及び質権設定者名義人を、本件土地のそれと一致させるためにしたものである事実を認めることができるから右の事実によつて前叙認定を左右することはできない。この点に関し、<証拠>によると、医療金融公庫は昭和三六年当時金銭の貸付けをする場合に、担保とされる建物と土地の所有者が異なるだけの理由で貸付けを拒んだことのない事実を認めることができるけれども、金融を受けるに際し、担保として提供する建物とその敷地の所有名義人の同一を要求されることは決して稀有のことではないから、原告ないし重威の右の如き措置をもつて必ずしも不合理なものということはできない。

なお、被告忠孝は、本件建物の登記済証を所持し、その固定資産税を支払つている事実によつても、本件建物が被告忠孝の所有に属することは明らかである旨主張し、<証拠>には、富士銀行新宿支店は昭和四六年一月一六日被告忠孝から本件土地と本件建物の権利証を預つた旨の記載が存し、<証拠>によると、本件建物に対する昭和四二年度分からの同四八年度分までの固定資産税が被告忠孝名義で支払われていたことが認められ、更に<証拠>によると、被告忠孝名義で右建物の不動産取得税が支払われている事実を認めることができるけれども、被告忠孝が右の各納税をしたとの主張に符合する<証拠>は、<証拠>に照らして措信できない。却つて右公租公課を原告において納付していた事実は、後に説示するとおりであり、また、<証拠>を総合すると被告忠孝の援用する右各書証のうち、公課証明書を除くその余の書証は、南埼病院の会計事務をも担当していた重威が、南埼病院の金庫に入れて保管していたもの及び被告忠孝が昭和四二年五月ころ脱税容疑で関東信越国税局の査察を受けた際、赤羽病院において領置され、その後同被告に還付された書類に含まれていた事実を推認することができるから、被告忠孝が本件建物の登記済証、その他の前示書類を所持していたからといつて、敢えて異とするに足らないばかりでなく、本件建物の所有名義人が被告忠孝とされていたこと、前認定のとおりである以上、右建物の固定資産税、不動産取得税が同被告名義で納付されたのは当然のことである。要するに、右の各証拠によつては、前叙認定を左右することはできないし、他にこれを覆えすに足りる証拠は存しない。

二以上に認定したところによれば、原告は、被告忠孝に対し本件建物が原告の所有に属することの確認を求めるにつき、確認の利益を有することは明らかであり、また、被告忠孝は、原告に対し右建物につき真正な登記名義の回復に代えて所有権移転登記手続をする義務ありといわなければならない。

(損害賠償について)

一被告小澤が昭和四六年二月中旬ころ被告忠孝に対する貸金公正証書に基づき、本件診療報酬請求権金九〇〇万円につき差押転付命令を得てその執行を了した事実は、当事者間に争いがない。

二原告は、右診療報酬請求権は赤羽中央病院の経営者である原告に帰属すると主張し、被告らは、右診療報酬請求権は同病院の開設者である被告忠孝に帰属する旨抗争するので、先ず、赤羽中央病院の経営者の点について判断する。

(一) 南埼病院の設立経緯について

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 重威は、アメリカにおいて三人兄弟の外科医が共同で経営しているメーヤー・クリニックに関心を抱いていたところから、長男である原告、二男である被告忠孝及び三男重憲の三人を外科医とし、その有する資金を投じてそれぞれ相応の病院を経営させることを目論んでいたこと。

2 ところで、長男である原告は、東京帝国大学医学部を卒業し、国立沼津病院に勤務していた(右の事実は、原告と被告忠孝間において争いがない。)が、昭和二五年当時静岡大学医学部の教授の話があつたため、同病院を辞して開業する決意をするに至らなかつたこと。

3 二男である被告忠孝は千葉医科大学を卒業し、国立王子病院に医師として勤務していた(右の事実は、原告と被告忠孝との間において争いがない。)が、重威は、同人をして病院を経営させるべく、昭和二五年八月一日国から埼玉県北葛飾郡庄和町(当時の南桜井村)大字大衾二三九番地に存した事務所、工場等の建物を、服部時計店からその敷地をいずれも被告忠孝名義で賃借し、同月二二日訴外神藤仙蔵と右建物の改造修理につき代金を金三〇万九、七六五円五〇銭とする請負契約を締結し、これを病院向きに改造修理をしてその代金を支払い(右代金のうち金一八万円は、重威の同人に対する貸金債権と合意相殺された。)、間もなく開設者を被告忠孝、管理者を同被告の後輩富田義純とし、主として結核の治療を目的とする朝倉記念埼玉病院の開設許可申請をし、同年一一月七日その許可を得て(右病院開設の点は、原告と被告忠孝間に争いがない。)その経営に当つたが、右開設に要した費用は、すべて右重威において負担したこと。なお、右の朝倉記念埼玉病院なる名称は、金融業を営んでいた重威の社会奉仕の意味を含め、同人の生涯を記念する事業であるとの意味を有するものであつて、重威により名付けられたものであること。

4 昭和二七年ころには右病院の経営も軌道に乗るに至つたので、重威は、その組織を変更すべく、理事長兼院長を右富田義純とする医療法人朝倉病院の開設許可を申請して同年四月一九日その旨の許可を得、同年五月六日その登記手続を終えた(右組織変更の点は、原告と被告忠孝間に争いがない。)こと。

5 被告忠孝は、同二九年三月一六日国立王子病院を退職し、以来朝倉病院の経営に当つていたが、同四一年八月三一日その名称を医療法人南埼病院と改称し、同年一〇月一二日その理事長兼院長に就任した(右病院改称の点及び被告忠孝の院長就任の事実は、原告と被告忠孝間において争いがない。)。

なお、同被告は、同四二年一月三〇日これを退任したこと。

6 重威は、その間の同三〇年ころ賃借中の前示建物を国から払下げを受け、その敷地を服部時計店から買受けたが、その名義人をいずれも被告忠孝としたこと。

7 他方、三男重憲は、同二七年三月昭和医科大学を卒業し、重威の援助により東京都八王子市に高尾厚生病院を開設したこと。

以上の事実を認めることができ<る>。

(二) 本件土地について

<証拠>を総合すると、訴外木村賢之助は、三共ゴム株式会社から本件土地を買受けて、その所有権を取得したものであるが、重威は、病院建設の目的のもとに、昭和二八年三月五日訴外千代田区不動産株式会社の仲介により、右木村賢之助から処分権限を委ねられた鈴木浅次郎より、右土地を代金は金二四三万三、〇〇〇円とし、重威の指定する者に所有権移転登記手続をする約定のもとに買受け、同日契約金として金二〇万円を支払つたこと、重威は、従来取得した不動産の所有権移転登記手続については、税金対策上、家族の名義を使用することが多かつたので、本件土地についても、その売買に際し買受けの目的を病院設置としたため、その登記名義人を医師にするのが後日の紛争を防ぐことになるとも考え、同月三〇日土地の所有名義人三共ゴム株式会社から直接被告忠孝名義に所有権移転登記手続を了したこと、重威は翌三一日右残代金二三三万三、〇〇〇円を支払つたこと及び重威は、その後被告忠孝を相手方として東京地方裁判所八王子支部に対し本件土地につき所有権確認の訴えを提起した事実を認めることができる。<反証排斥略>

もつとも、被告忠孝は、本件土地の登記済証を所持し右土地の固定資産税を支払つている事実によつても、本件土地が被告忠孝の所有に属することが明らかである旨主張するが、被告忠孝が本件土地の登記済証を所持していたからといつて直ちに右土地が被告忠孝の所有に属するものとは認め得ないこと及び被告忠孝が右土地の固定資産税を納付したものと認めることのできないことは、本件建物について前に説示したとおりである。なお、<証拠>によると、原告は同四二年度から同四四年度までの所得税確定申告において被告忠孝に対し本件土地の賃料を支払つた旨の申告をしている事実を認めることができるが、右は、前示のとおり、被告忠孝が脱税容疑で関東信越国税局からの査察を受けるなどして経済的に困難な時期に援助した金員を、たまたま本件土地の所有名義人である被告忠孝に対する賃料として申告処理した事実も、<証拠>によつて明らかであるから、これをもつて右認定を左右することはできず、<反証判断略>。

(三) 本件木造建物について

次に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 重威は、昭和二八年中国から前示南埼病院付近に存した建物の古材を代金五五万円で払下げを受けるとともに、訴外野地直行建築士をして本件木造建物の設計をさせ、次いで同年六月その妻ミヤ名義で右建物の建築確認を申請して同年七月一六日その確認を得たこと。

2 重威は、同二八年一〇月ころ金五四〇万八、四八六円の費用を投じ大工訴外増田関太郎、同鈴木但、同新井某らをして、本件土地上に右古材を使用して本件建物の建築に着手し同二九年三月ころまでにはその内部造作を終えて右建物の所有権を取得し、これにレントゲン等の医療器械を備付けたこと。

3 重威は、これより先の同年三月二七日資金難を理由に右建物の建築主を重威、ミヤ、原告及び被告忠孝の四名に変更する旨の届出をし、同月三一日右建物につき共有者を原告ら右四名とする所有権保存登記手続を経由した(右保存登記の点は、原告と被告忠孝間に争いがない。)が右登記は税金対策と将来開設すべき病院を法人組織に定める際の便宜を考慮したものであること。

4 重威は、同年七月ころ右建物を原告に贈与したこと。

以上の事実を認めることができ<る。>もつとも、乙第二四号証は、「証明書」と題し、「九五万三、七〇〇円、但国有建物一八七坪五三買収代金、右忠孝現金支払済ナルコト相違ナシ、昭和三〇年三月一六日、朝倉重威」なる記載が存し、右の記載によると、本件木造の建物は被告忠孝において国から払下げを受けた古材によつて建築した建物のようにみえるが、右代金は前示払下代金と金額を異にし、しかも、昭和三〇年三月一六日当時重威が被告忠孝のために、右のような証明書を発行する必要があつたとの事実を認めるに足りる証拠も存しないので、右乙号証は、前示甲第五一号証の二に記載され、原告本人が供述するように、被告忠孝が同四二年五月ころ脱税容疑を受けて関東信越国税局の査察を受けるに至つたため、その責任を糊塗すべく重威において日付を遡らせて作成したものと認めるのが相当である。なお、乙第五四号証は、南埼病院の同二九年四月一日から同三〇年三月三一日までの事業年度における法人税額確定申告書の控であるが、右申告書控には、赤羽中央病院に対し金一五二万七、一二五円の立替金債権を有する旨の記載があり、被告本人朝倉忠孝は右金員は本件木造建物の建築代金の一部を立替えたものである旨供述するが、<証拠>によると右金員は原告が南埼病院と共同して購入した薬品についての立替金である事実を認めることができるから、右の各証拠によつては、前叙認定を動すことはできない。被告忠孝は、本件木造建物につき火災保険契約を締結しその保険料を支払つてきた事実によつても、右建物が被告忠孝の所有に属することは明らかである旨主張し、<証拠>にはその主張に符合する記載も存し、<証人>も同旨の供述をしているが、<反証判断略>。

(四) 赤羽中央病院の開設について

1 <証拠>を総合すると、

(1) 重威は、所要資金を投じ本件土地及び本件木造建物において病院を開設することとしてその準備を進め、昭和二八年一二月一七日東京都から東京都北区稲付町二丁目一八五番地(現在の同区赤羽二丁目五番一二号)の赤羽中央病院につき、開設者を三男重憲、管理者を原告とする開設許可を得た(重威の申請により右病院開設の許可がなされた事実は、原告と被告忠孝間に争いがない。)が、南埼病院と同様に結核病院を開設するものと誤信した地元住民約三、〇〇〇名が保健所長の立会を求めて町民大会を開催するなどして同病院開設の反対運動を展開し、そのため、本件木造建物の使用許可がなされず開業することができなかつたこと。

(2) そこで、原告は、重威に呼ばれて相談した結果、同二九年四月国立沼津病院を退職し、同年五月右住民と交渉に当り、外科中心の病院を開設して地元住民の期待に答えたい旨病院開設の趣旨を説明し、併せて赤羽中央病院は南埼病院と無関係である旨の覚書を差入れて漸く右住民の納得を得たので、同年七月一〇日には右建物の使用許可がなされたが、原告はこれより先の同年七月一日から本件木造建物において診療業務に従事し、同年八月九日には結核予防法による医療機関として指定されたこと。

以上の事実を認めることができ<る。>

2 ところが、<証拠>によると、昭和二九年八月五日改めて赤羽中央病院の開設者を被告忠孝、管理者を原告とする同病院の開設許可申請及び本件木造建物の使用許可申請がなされ、次いで同年九月二日重憲を開設者とする赤羽中央病院開設の廃止届がなされるとともに、被告忠孝を開設者とする赤羽中央病院の開設許可及び右建物の使用許可のなされた事実を認めることができる。

ところで、右開設者の変更について、被告忠孝は、重威は被告忠孝から赤羽中央病院の開設許可申請手続を委任されていたのに拘わらず、檀にその開設名義を重憲として開設許可を得たためこれを知つた被告忠孝に詰問された結果その開設名義人を右被告に改めることを約したうえ、その変更をしたものである旨主張し、<証拠>にはこれに符合する記載が存し、<証人>も、これに符節を合する供述をしており、更に乙第一二号証は、「念書」と題し、「赤羽中央病院の開設者の変更届は私の責任に於て十日以内に行う。赤羽中央病院の会計事務に対しては一切関与しない。朝倉重威。右承認する。朝倉忠孝殿」との記載が存する。しかしながら、右念書には、「開設者名義の変更届は私の責任に於て十日以内に行う。」と記載されているのに、作成日付の記載もなく、また「右承認する。」旨の文言も不自然であり、何よりも父である重威が二男である被告忠孝に右の如き念書を差入れることは異例なことというべきところ、<証拠>によると、被告忠孝が赤羽中央病院の開設者を勝手に重憲から右被告に変更したことを知つたミヤから、これを詰問された結果、被出口忠孝は、右ミヤ方に酸素ボンベを持込んで暴言を吐き、挙句の果には同女を階段から突落すなどの暴行を働いたため、赤羽中央病院の開設者名義は被告忠孝に変更されたまま放置されるに至つたが、その後重威は、右被告の要求を断わることができずに右念書を作成交付したというのであり原告本人もこれと同旨の供述をしている。

以上の諸点を総合して勘案すると、右の各証拠をもつてしても、赤羽中央病院開設者名義が被告忠孝の主張する事由によつて変更されたものと認めることは困難である。

なお、<証拠>によると、被告忠孝は、昭和三二年一一月八日支払基金に対し赤羽中央病院の診療報酬の請求及び受領に関する権限を原告に委任した旨を記載した委任状を提出した事実を認めることができるが、右にみたとおり、同病院の開設者名義が被告忠孝とされていたところ、昭和三二年末ころより診療報酬の請求及び受領は健康保険医でなく、病院開設者がこれをすべきものとされたため、原告において被告忠孝に対し赤羽中央病院の開設者名義を原告に変更するよう求めたところ、却つて金一〇〇万円を要求されたので、原告が右被告に諮ることなく右の届出をして診療報酬の請求及び受領をし、これを諸種の費用の支払いに充ててきたが、被告忠孝から全く異議も述べられなかつた事実は、<証拠>によつて認めることができるから、右乙号各証をもつて右認定を左右することはできず、他にこれを動かすに足りる証拠も存しない。

(五) 赤羽中央病院の運営について

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 原告は、赤羽中央病院の開設と同時に重威から本件木造建物の贈与を受け、以来右建物において同病院の診療業務に従事し、その後本件建物を建築するなどして漸次拡張を重ね、従業員も開設当時医師三名、看護婦五名、その他の従業員一〇数名位であつたが、現在医師二六名、看護婦四五名、他の従業員も四五名ほどに達し、診療科目も外科、整形外科、脳神経外科、皮膚泌尿科、内科、小児科、婦人科、放射線科及び理学療法科を備えた総合病院となつたが、従業員はすべて原告の判断で採用し、その給与についても、医師については派遣大学の医局、看護婦については婦長、事務長、事務員については事務長などと各相談して決定し、就業規則、退職年金規程などを作成し、これらの事項について被告忠孝が関与したことはなかつたこと。

2 原告は、赤羽中央病院の事務長粕谷恒をして本件各建物の修繕をしていたが、昭和四二年に本件木造建物に薬品倉庫を増築し、同四三年には診療室の補修工事をしたほか、医療品、医療器具及び寝具類など右病院経営に必要な一切の物品を購入していたこと。

3 社会保険診療報酬については、赤羽中央病院の開設当時原告の三菱銀行新宿支店の預金口座のほか、昭和二九年八月二五日から被告忠孝の長女環名義の富士銀行新宿支店の預金口座にも振込まれていたが、その後同三四年一一月ころから赤羽中央病院会計主任朝倉重威名義で開設された富士銀行新宿支店の預金口座に振込まれ、更に同四三年五月二二日ころからは、三菱銀行赤羽支店の原告の預金口座に振込まれていたこと。

4 原告は、旧鉄筋の建物については昭和三五年から、本件建物については同三九年からいずれも被告忠孝名義で、本件木造建物については重威名義で各火災保険契約を締結していたほか、企業年金保険については同四三年ころから、利益保険については同三九年ころから、いずれも原告名義で加入し、その各保険料を支払つていたばかりでなく、本件各不動産の公租公課をも支払つていたこと。

5 原告は、昭和三五年ころから赤羽中央病院における収益を原告個人の所得として所得税の確定申告をし、その税金を納付してきたが、本件木造建物及び本件建物並びに同病院に存する什器、備品、機械などは、これを償却資産として計上し、本件建物の建築費の前示割賦償還金についてはこれを仮払金として処理したこと。

6 原告の赤羽中央病院の経営者としての右の如き行動は、重威の意思にも適い、他方、被告忠孝は、これに関し一度も異議を述べたことのないこと。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠については、次の項において判断することとする。

(六) 以上のとおり、原告及び被告忠孝の親である重威は、南埼病院や赤羽中央病院の開設に当つて資金を投じ、その経営に深く関与したばかりでなく、その税金対策を考えたためか、本件土地、本件木造建物及び本件建物の所有名義、旧鉄筋、新鉄筋の建物の注文者名義、赤羽中央病院の開設者、管理者名義、更には右病院の預金者名義などについては、原告、被告忠孝のほか、妻ミヤ、三男重憲、被告忠孝の長男重延、長女環など家族の名義を数多く使用し、また、その資金関係も重威のほか兄弟である原告及び被告忠孝の関係者が関与し、しかも暫々紛争を醸し、作為的な証拠も数多く存するなどして、その間の権利関係については、必ずしも明確さを欠く点がないでもないが、以上に認定した事実によれば、重威は、三人の子を医師としてそれぞれ病院を経営させることを計画し、資金を投じて二男である被告忠孝には南埼病院を、三男重憲には高尾厚生病院を各開設経営させたのであるが、赤羽中央病院の開設に際しては、当時国立沼津病院に勤務していた長男である原告を退職させて開設に反対する地元住民の説得に当らせ、その開設後は同病院の管理者として診療業務に従事させたばかりでなく、本件土地に重威、ミヤ、原告及び被告忠孝名義で建築し病院として使用すべき本件木造の建物を原告に贈与し、原告も、また、旧鉄筋の建物、次いで新鉄筋の建物を自ら建築し、右木造の建物とともにこれを赤羽中央病院の診療業務に使用して、その補修、増築工事をしたほか、右各建物について火災保険契約を締結してその保険料や固定資産税不動産取得税を負担していたというのであり、更に同病院の医師その他従業員の採用、給与の決定、医薬品、医療器具など病院経営に必要な物品一切を購入していたというのであつて、しかも、右病院経営による収益は、原告個人の所得として所得税の確定申告をし、企業年金、利益保険にも加入していたというのであるから赤羽中央病院は、原告の経営にかかるものと認めるのが相当である。

この点に関して、被告忠孝は、同病院の経営者は被告忠孝であると主張するが、採用できない。その理由は、次のとおりである。

1 先ず、被告忠孝は毎週月、水、金曜日の午後赤羽中央病院に赴いて診療業務に従事するほか、帳簿類を検査し指示を与えていた旨主張するが、<証拠>によると、被告忠孝は毎週月、水、金曜日の年後同病院に赴いて短時間診療業務に従事したが、その期間は右病院開設後二、三年間に過ぎなかつたこと及び原告もまたそのころ同被告の経営する前示南埼病院に赴いて診療業務に従事していた事実を認めることができるから、被告忠孝の診療業務に従事していたとの右事実だけから、右主張事実を肯認することはできない。<反証排斥略>

2 次に、被告忠孝は、昭和四五年一二月まで赤羽中央病院の会計係から毎週月、水、金曜日にその日までの窓口収入から必要経費を控除した残額を届けさせていた旨主張し、<証拠>によると、被告忠孝は、昭和四〇年ころから同四五年夏ころまでの間右病院の窓口収入金の一部を受取つていた事実を認めることができるけれども、右は、原告が重威の懇請により経営の危機に瀕した南埼病院援助のために始めたものが、その後被告忠孝の暴力を振つての強引な要求に屈しそのまま継続していたことによるものである事実は、<証拠>によつて認めることができるから、右乙号各証は、被告忠孝の主張事実を肯認する証拠として採用することはできず、<反証排斥略>。なお、<証拠>は、<証人>によると、被告忠孝は重威及び朝倉啓子とともに、昭和三四年一二月ころから右被告が脱税容疑で査察を受けた同四二年五月ころまでの間、赤羽中央病院において架空に計上した仕入代金を小切手でその預金口座から払戻して、いわゆる裏金を作つたことを記載したものである旨各供述するが、原告がこれに関与していなかつたことは、<証拠>に記載され、<証人>の各供述するところでありしかも、被告忠孝が赤羽中央病院の経営者であるとするなら、このような方法においてのみ同病院の経営に関与するというのも異例なことであり、到底被告忠孝の主張を裏付けるに足りないものといわなければならない。

3 更に、被告忠孝は、原告は赤羽中央病院の従業員であると主張し、これに符合するかの如き乙第一四号証は、赤羽中央病院開設者に宛てた「辞職願」と題する書面であつて、これには、「今般一身上の都合により辞職させて載き度く此段お願申し上げます」との記載の次に、原告の署名押印がなされ、続いて「但し、本願は監物敬二殿の同意書を要するものとする」との記載があつて、更に原告の署名押印がなされている。そして、被告本人朝倉忠孝は、この点について赤羽中央病院開設後一年程して帳簿を検査した結果使途不明金を発見して追究したところ、原告において右の辞職願を提出したものである旨供述し、<証拠>によると、右辞職願は、被告忠孝が赤羽中央病院の開設者名義を被告忠孝に変更したことを詰問したミヤに乱暴を働くなどの行為に及んだのに、重威が右名義変更の点を有耶無耶にして追究しなかつたことに憤慨した原告が実質上同病院の開設者である重威に対して差入れ監物敬二が保管していたものであるというのである。なるほど、<証拠>によると右「辞職願」は、赤羽中央病院開設後間もなく原告と被告忠孝間に金銭のことで紛議を醸し、その結果原告より被告忠孝に差入れたものであることを認めることができるけれども、日付の記載はなく、その文面も辞職の効力の発生を第三者の同意にかからせるという従業員の辞職願としては寔に不合理なものである。証人朝倉啓子並びに被告本人朝倉忠孝は、赤羽中央病院開設当時原告に対し一か月金四、五万円の給与を支払つていたこと及びその後昭和三二年ころになつて原告に対して赤羽中央病院の利益金の三割を支給することにした旨供述するが、原告が同病院の開設以来今日までその経営者として行動してきたことは、前示のとおりであり、本件における全証拠を仔細に検討しても、被告忠孝と原告との間における雇傭契約の存在ないし給与の支給など雇傭関係の存在を窺うに足りる証拠は全く存しない。右の事実によれば、右の「辞職願」なる書面は、<証拠>に記載されているように、原告が、被告忠孝と前示紛議を醸した際、今後紛議を生じた場合には監物敬二の同意のもとに開設者が被告忠孝、管理者が原告とされている赤羽中央病院の経営を取り止める旨の趣旨をもつて作成し、右病院の開設者とされている被告忠孝に差入れたものと認めるのが相当であるから、右乙号証の記載をもつて被告忠孝の主張事実を肯認することはできない。

4 被告忠孝は富士銀行新宿支店に長女環名義の預金口座を開設し、これに赤羽中央病院の収入を預金し必要に応じて払戻していた旨主張し、社会保険診療報酬の一部が昭和二九年八月二五日から富士銀行新宿支店における被告忠孝の長女環名義の預金口座に振込まれていたことは、前に認定したとおりであるが、右預金は、当時被告忠孝と不和になつて生活のため新宿に出店計画を有していた同被告の妻啓子の要請により、ミヤが同女に貸与した定期預金の元利合計金二〇四万七、九六四円を預金して同二九年八月二五日に開設されたものであるが間もなく同女の申出により原告がそのままこれを赤羽中央病院の取引に使用し、同三四年一一月ころ原告によつて解約されたものであつて、その際の残高は赤羽中央病院会計主任朝倉重威名義で開設された同支店の預金口座に預入されたこと及び原告は昭和三五年度以降の所得税の確定申告において、当初ミヤから啓子に貸与された右金員のうち金二〇〇万円をミヤからの借入金として計上していたが、同四四年七月三〇日ミヤの遺産分割協議において、そのうち金一〇〇万円は原告、金五〇万円は重威、残余の金員は訴外伊藤重久が各分割取得する旨の協議がなされた事実は、<証拠>を総合して認めることができ、右認定に反する<証拠>は、前顕各証拠に照らして措信できないから、被告忠孝の長女環名義の預金口座が赤羽中央病院の取引に使用されたことをもつて被告忠孝の主張事実を肯認する資料にすることはできない。

5 なお、被告忠孝は、本件土地の隣地を取得したが、これは赤羽中央病院のリハビリテーションセンターを建築するためのものであると主張し、<証拠>によると、被告忠孝は、昭和四一年六月一〇日普門院から本件土地の隣地である同所一八六番、宅地二九二坪八合を買受け同日その所有権移転登記手続を経由した事実を認めることができるけれども、それだけでは被告忠孝の右主張を肯認することはできない。

6 <反証判断略>

三右に認定したとおり、赤羽中央病院の開設名義は被告忠孝とされてはいるが、その経営者は、原告というべきであるから、同病院における診療によつて取得した本件の診療報酬請求権金九〇〇万円は、支払基金に対する関係は格別、被告忠孝との関係においては、原告に帰属したものというべきである。してみると、原告は、被告小澤の前示債権差押転付命令によつて金九〇〇万円の損害を被つたものといわなければならない。

四そこで、原告の右損害が被告らの故意、過失によるものかどうかの点について判断する。

(一) 被告小澤の被告忠孝に対する貸金公正証書に、被告小澤が昭和四六年一月二九日被告忠孝に対し金九〇〇万円を弁済期同年二月一一日と定めて貸与した旨の記載されている事実は原告と被告小澤間に争いがなく、被告忠孝との間においては、<証拠>によつてこれを認めることができる。

(二) 被告忠孝が右の借入れをするに至つた理由について、被告忠孝は、原告から申請された医療妨害禁止の仮処分決定の執行がなされたため赤羽中央病院からの収入を奪われ、やむなく被告小澤から金九〇〇万円を借入れた旨主張し、被告小澤も、また被告忠孝から裁判の保証金として金九〇〇万円の貸与方を求められてこれに応じたものである旨主張し、被告本人朝倉忠孝、小澤民雄もこれに符合する供述をしている。

しかしながら、<証拠>を総合すると、被告忠孝は、本件金員の借入れがなされたという昭和四六年一月当時多数の不動産を所有し、東京都八王子市において八王子滝山病院及び同都港区芝西久保明舟町一二番地において金融などを目的とする有限会社山雅をいずれも事実上経営していたほか、同四五年一〇月には熱海市に所有していた旅館を金七、〇〇〇万円で売却してその売得金を入手しており、また、所得税の確定申告における所得額も、同四三年度が金三、一一三万七、〇〇〇円、同四四年度が一億二、〇四三万二、〇〇〇円であつた事実を認めることができ、右の事実によれば、原告から申請された仮処分決定がなされたとしても、そのため被告忠孝が被告小澤や後に説示する室谷光雄などから金員の貸与を受ける必要があつたと認めることには疑問を容れざるを得ない。

(二) 次は、被告小澤は、昭和四六年一月二九日中央ハウジング株式会社から金七五〇万円を弁済期一五日後と定めて借受け、これに手持の金一五〇万円を加えた金九〇〇万円を被告忠孝に貸与したものであると主張し、<証拠>には中央ハウジングからの借入金について同旨の記載が存するほか、右金員は同年三月一日右中央ハウジングにおいて被告小澤から弁済を受けた旨の記載が存するのに拘わらず、<証拠>によると、同社の代表取締役訴外小柳陸夫は東京地方裁判所八王子支部における同五〇年二月四日の証拠調期日に証人として出廷し右貸金について供述しているが、これによつてもその弁済期日は明らかでなくしかも当時右貸金は弁済されていない旨全く矛盾する供述をしている事実を認めることができる。右の事実によれば、右丙号証の各記載については、作為的なものであるとの疑問を払拭することができない。

(三) 更に、<証拠>によると、訴外室谷光雄は、昭和四六年二月九日中央ハウジングから金五五〇万円を弁済期同年二月末ころと定めて借受け、これに手持金五〇万円を加えた合計金六〇〇万円を、被告忠孝に対し弁済期同年二月二四日と定めて貸与した旨の公正証書を作成し、右弁済期後間もなく、右公正証書に基づき赤羽中央病院の診療保険報酬請求権について差押転付命令を得てその執行をしたが、中央ハウジングの貸付金の帳簿(丙第三号証の二)には、同年二月二日金五〇万、同月九日金五〇〇万円を被告小澤に貸与した旨記載されているが、右室谷に貸与した旨の記載の存しない事実を認めることができる。

(四) そして、<証拠>によると、室谷光雄は室谷光雄は被告小澤の実弟であつて、同被告の主宰する株式会社トナミ不動産に勤務するものであること、中央ハウジングの代表取締役小柳陸夫はトナミ不動産の代表取締役をも兼ねていること及び被告小澤は被告忠孝と親しい間柄にある事実を認めることができる。

(五) 被告小澤が本件の診療報酬請求権について差押転付命令の執行をするに際しては、先ず親密な間柄にある被告忠孝に対し貸付金の督促など弁済につき交渉をして然るべきであるのに、このような手順を踏んだ事実を認めるに足りる証拠は存しない。この点に関して被告本人小澤民雄は、被告忠孝と連絡をとることができなかつた旨供述するが措信できない。

(六) 更に<証拠>によると、被告忠孝は、重威に対し昭和四六年一月一三日ころ「兵糧攻めにして一家心中させてやる。」、本件債権差押転付命令執行後間もなく「今に赤羽中央病院を兵糧攻めにしてやつて、斌にカンカン踊りをさしてやる。」旨いずれも電話で申し向けた事実を認めることができる。

既に認定したとおり赤羽中央病院の経営者は原告であつて、被告忠孝はその開設名義人に過ぎないとの事実に、当時における被告忠孝の金員借受けの必要性、被告忠孝と被告小澤との関係、略々時を同じくして被告忠孝に金員を貸与したという室谷光雄が被告小澤の実弟であること、被告小澤らが貸与したという金員の資金関係及び本件差押転付命令執行前後における被告忠孝の言動など右に認定した事実関係に、本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、被告忠孝は、本件診療報酬請求権について全く権利を有していないことを知悉していたが、原告が昭和四五年夏ころから金員の援助を取止め、かつ、間もなく同被告に対する医療行為妨害禁止の仮処分決定の執行がなされたところから、赤羽中央病院の開設名義が被告忠孝となつていることを奇貨とし、被告小澤と金員の貸借を仮装、若しくは通謀の上、前示公正証書を作成し、これに基づいて原告の本件診療報酬請求権に対し債権差押転付命令を得てその執行をし、原告の右請求権を消滅させ、もつて原告に対し金九〇〇万円の損害を加えたものと認めるのが相当である。

五そうすると、被告らは、共同不法行為による損害賠償として、各自原告に対し金九〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和四六年三月一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金支払いの義務がある。

(結論)

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、いずれも理由があるから、正当として全部認容すべきものである。

(長久保武 大喜多啓光 坂野征四郎)

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